かいてんのブラサバブログ

Black Survival(ブラサバ)についてのんびり書いていきます。

さよなら私の誕生日

 スアメインの二次創作となります。実験日誌のネタバレを含みます。

 

 ……私がルミア島に来て、いったい何日たったのだろう。

 私は手に持っていた長編ミステリー小説を膝の上に置き、窓のない部屋で深く、ため息をつきます。膝の上の本は確かに読んだことがない、と理性では判断しています。ですが、ページをめくった時の手に馴染む感覚。これは私のお気に入りの本を読んでいるかのようでした。

 

 私がルミア島に来てまだ三日しか立っていないと、担当の研究員さんは言っていました。おそらく、いや、確信をもってそれは嘘だと私は思います。例え私自身がそうであると理性で判断しても、私の持っているこの本が、慣れ親しんだ本であると言い張っています。

 

 ぐっと腕を伸ばして一息。そして立ち上がりお散歩にでも行こうとドアを押し開きます。陰鬱な気分はお日様のぽかぽかした陽気で取り払って貰いましょう。とてとてと研究棟の玄関まで行こうとして、シャッターから漏れ出る光がないことに気づきます。玄関の外に出てみると、案の定雨がしとしと降っていました。コンクリートに音もなく落ちる雨粒。これはいけない、と手に持っていた本をいったん部屋に置きに行き、もう一度玄関口へ。無尽蔵におかれた安っぽいビニール傘を手に取り、壊れてないことを確認して、私は小雨の中をあてもなく歩き出しました。

 

 ちょっと歩くと山道に入ります。雨粒に負けそうになってしなる大きな葉っぱ。やがて雨粒が落ちると、葉っぱは何事もなかったかのように元の位置に帰ります。そんな葉っぱをふたつ、みっつと見つけてしばらくぼーっと眺めてました。山道を抜けると消防署にやってきます。使われなくなって十数年といったところでしょうか。柱はあちこちボロボロになっていたり、止まっている消防車は決して動かないでしょう。コンクリートの床もツル状の植物が生い茂り、消防署を自然に還そうとしているようでした。ですが、まだ人工物である消防署。目に見えないくらいの雨。こんな日は私にとって思い出したくもない――私が人でなくなった日を思い出してしまいます。

 

 私に相談に来てくれた女の人。人を5人も殺してしまった女の人。そして――その人に共感し、慰めてしまった私。あの日、私は女の人であり、5人も殺してしまったに変わりがない……と、私は思います。他の人が見たら、そうじゃない、あの女が悪いんだと私の事を慰めてくれるかもしれません。ですが、私にとってあの女の人、私と向き合って話し合った女の人はもう、自分みたいなものでした。頭ではあの女の人と私は違う人だとわかっていていても、心の中では自分だと、そう思ってしまうのです。だから私は私のことを一生、許せないでしょう。いつの間にか、雨で地面が濡れているのにも関わらず、ぺたりと地べたに座り込んでいました。あの日からずっと、自分のことが嫌いで、嫌いで、私の才能が憎くて、だからあの日から人じゃなくて本という空想に逃げて、おかげで現実を直視せずに、自分の罪から逃げ出して、今日まで生きてきて――

 

 

本という「空想」すら忘れてしまったら、私はどこに逃げればいいんでしょう

 

 

 自然と涙が一粒、二粒と零れ落ちます。ですが、雨は私が泣くことすら許しません。泣いた証拠である涙は、雨粒でかき消されてしまい、まるで世界が私を拒んでいるかのようです。地面を見つめても、頬をさすってもそこには雨でぬれたものがあるだけ。私は人であっても、人間じゃない。そう雨に、世界に言われているようでした。

 

ふと、ザッザッという足音が後ろから聞こえてきます。私なんかを気にかけなくていいので、ほっといてください。そうした気持ちすらおこがましいものですが。足音は私のずっと後ろで止まりました。しばらく足音はせず、やがてもう一回ザッザッと立ち去るような足音が聞こえました。

 

足音が消えてからたっぷり時間をとって私は立ち上がります。例え私が私のことを人でなし、消えてしまえと思っていても、周りの人は私を「本好きのちょっと変な女」と見ているでしょうし、そんな風になることが少しでも亡くなった人に対する罪滅ぼしなんだと、そう思わずにはいられません。罪滅ぼしは、加害者が使う都合のいい言葉。なんて私の好きな本に書いてありましたっけ。

 

私は立ち上がり、申し訳程度にパッパッと体についた雨粒を払い、傘を差しながら元来た道を引き返します。牛のようなゆっくりとした早さで。ちょっとしたら私の目に入ったのは、私と同じビニール傘に守られた、かわらしいクマの人形でした。クマさんは私の方を向いており、誰かが、あの足音の人が私のためにおいてくれたのでしょう。

 

私はクマさんに尋ねます。――私のこと、どう思う? クマさんは何も答えません。当たり前です。人間の気持ちがどんなにわかろうとも、人形の気持ちが分かるわけ、いや人形に気持ちなんかあるわけがないのですから。ですが、クマさんと見つめ合ううちに、クマさんは、クマさんを置いた人が私に向かって「だいじょうぶ」と言ってくれてるみたいでした。いつのまにか私はクマさんを胸の前に抱えて、一緒に歩きだしました。さっきよりちょっとだけ早い、そんな速度で。

 

やがて研究等にある自分の部屋につき、持ってきたクマさんを部屋に降ろし、濡れた体を癒すためにシャワーを浴びようと準備したところで、クマさんのあごに挟まっていた紙の切れ端を見つけます。ちょっと濡れているそれを手に取ると

 

 

「誕生日は、いつですか」

 

 

それだけ、書かれていました。

 

私は今日初めて、ふふっと笑ってしまいます。この紙切れの主はなにを書こうか迷ったらしく、大丈夫? や俺に任せろといった文字が消し跡に残っていたからです。私の事を気遣うでもなく、ただ単に日常会話をしようと四苦八苦している情景が目に浮かびます。そんな配慮が嬉しくて、つい答えようと自分の誕生日を思い出そうとします。

 

 

あれ、ルミア島に来てちょうど1か月後に誕生日を迎えるはずだったよね?

 

 

それに気づいた瞬間、その紙を破こうとしてしまいますが、なんとか抑えて、もう一度じっと紙を見つめます。ああ、私の本が長い間ここに居ることを示しているのに、私はなんで、気づかなかったんでしょう。

 

 

私の誕生日は、失われてしまった。

 

 

それに気づいた私はまたぺたりと座り込んで、あふれ出る涙を抑えきれずに床を濡らします。ああ、私の誕生日は、私すらも分からなくなってしまった。誕生日がわからない人は本当に「人」として生きていけるんでしょうか。

 

 

――さよなら、私の誕生日

 

・あとがき

 

 思いついたタイトルがエモかったからそのまま書き進めたらいつの間にかスアちゃんが泣いてた。あとこれ書くためにうんえーに誕生日の件について聞いたら「保留」と帰ってきて(´・ω・`)ってなった。

 実際の所、実験日誌の研究員の見解が全て正しいと仮定した場合、スアはどうやって今まで生きてきたのでしょうね。本は自分をありのままに受け入れてくれる。人は自分を変えてしまう。と今考え付いて、それでも人に接するのは周りが幸せになれば、自分も幸せになれると考えているからでしょうか。

 あとレオンはこーゆー空気は絶対に読める。どーせ人形に傘さして自分は濡れながら帰ったんでしょう。あと当初はギャグ時空も考えていましたが、オチが思いつかなかったため断念。

 次書くとしたらナタポンとスアでしょうか。オチまでできていますが、どうしてもシリアスものになってしまいますね。

 というかスマホ全盛のこの時代に白文字あとがきって気づく人いるのだろうか問題